自分にしかできない「継承」の形を模索して

自分にしかできない「継承」の形を模索して

PROFILE

草野 優介 さん

フォトスタジオ「Studio One Nagasaki」代表

活動歴
長崎市生まれ。写真家。フォトスタジオ「Studio One Nagasaki」代表。公益財団法人長崎平和推進協会の活動の一つである「写真資料調査部会」メンバーとして被爆写真の調査活動に取り組んでいる。2021年より、10代、20代を中心とした若者が被爆者の体験を聞き取りながら、写真撮影を体験する「継承フォトワークショップ」を主催。

■写真を通じて被爆地の記憶を復元

 大学の卒論研究で、被爆者の方のお話を聞いて、その人生をまとめるというライフヒストリー研究をしたのです。その時に取材をさせていただいたのが、被爆写真の調査や研究をしている「写真資料調査部会」の会長だった深堀好敏(ふかほり・よしとし)さんでした。その後、東京で大学院に進み、長崎に戻ってきて写真家になったのですが、大学の時のご縁がきっかけで、26歳で写真資料調査部会に入りました。平和と名前がつく活動にはっきりとかかわったのはそれが最初です。

 僕が大学生の頃は、平和や原爆に関する活動というと、大きな声を上げて政治的な主張をする、というイメージがありました。でも写真資料調査部会の活動は、一歩引いた形というか、被爆後の写真を前に、これはどこで、いつ、誰が撮ったかとか、そういった地道な調査を通じて被爆地の記憶を「復元」していくのです。そして写真展を通じて市民に被爆の実相を知ってもらう。こういう活動もあるんだ、と思いました。

■コミュニケーション・ツールとしてのカメラ

 長崎で育っていても、学校以外で被爆体験を聴くということはあまりなかったですね。でも原爆のことや戦後の暮らしにはずっと興味がありました。継承活動というと難しく聞こえるけれど、深堀さんもそうですが、人生の先輩、師匠の一人として、身近な存在として感じたい、という思いがありました。

 カメラはそのためのコミュニケーション・ツールです。被爆者と向き合い、直に体験に触れ、その人の生き方を知ることで、僕たちはリアルに感じることができる。自分の人生と重ねて感じることができるのです。

 写真が好きになったのは母方の祖父の影響ですね。祖父がカメラ好きで、10代の頃にフィルムカメラを買ってもらったんです。大学の時、友達が働いていた写真店でバイトをしたことで、実務を通じて写真の撮り方を学びました。

■さらに若い世代にすそ野を広げる

 自分なりの継承のやり方を始めてみたいな、という気持ちはあったのですが、なかなか具体的に動きだせずにいました。そのような中で、2年前に長崎市主催の「平和の新しい伝え方応援事業費補助金」に応募し選ばれ、「継承フォトワークショップ」を始めました。自分が被爆者の写真を撮るだけでは新しいとは言えない。それよりも、自分より若い世代を巻き込んで継承活動のすそ野を広げていけたらいいんじゃないか、と。

 普段から中学校や高校など学校関係の仕事が多いため、新聞部や放送部などの顧問の先生なども通じて、社会問題に関心のある子たちに声をかけてもらいました。一年目には5名募集して、中学生から20代までの若者8名が参加しました。

 フォトワークショップでは、若者が一対一で被爆者に向き合い、体験を聞き取り、写真を撮ります。最初に、どういうことに興味があるか、参加者に面接します。新聞部の生徒であればメディアで原爆報道にかかわっていた被爆者の方だったり、母校が同じだったりと、縁がある人を組み合わせるようにしています。

 カメラを触るのも初めてという人がほとんどですから、シャッターに慣れるところから始めます。インタビューの仕方も教えます。もちろん短い時間で聴けることは限られている。でも彼らが撮影した被爆者の写真からは、被爆者の想いがしっかりと受け止められていることがよくわかります。

■「自分ならでは」を探しながら

 僕の父は平和運動に長くかかわっていて、兄弟も自然とそうなっていました。それらを否定する気持ちはなかったけれど、僕自身は活動をしていなかった。進路の問題などあって気持ちに余裕がなかったし、懐疑的な部分もあったし、自分自身が何をしたいのか、よくわかっていなかった。信念みたいなものには程遠かったのです。敷かれたレールの上を進むことを拒絶していた部分もあるかもしれません。

 でも大学院を終えて長崎に帰ってきて、深堀さんに会いに行きました。力になりたい、と思ったんです。深堀さんが続けてきた活動を受け継いでいくということが、僕にできる継承かもしれない、と考えたのです。

 長崎は歴史のある街です。原爆という辛い経験をしてきた。そして廃墟となった街を復興させてきた。先輩たちが積み重ねてきたもの、その人たちが生きてきた証、記憶、経験を僕たちはもっと知らなければいけない。もちろん僕らは原爆を経験していないし、そんな人間に何がわかるのかという自問はあります。それでも体験した人たちと同じ時代を生き、同じ時間を共有したことを、自らの経験として受け継いでいくことはできるのではないかと思っています。僕自身が生きているうちに、そうした人たちと、一回でも多く会って、話を聞いて、それを自分の言葉にして、そして次の世代に引き継ぐ――。そのための方法を常に模索しながらやっています。

●「いっぽめ」の若者へのメッセージ

 自分に何ができるか、考えている人は多いと思います。そんな時は、自分の置かれた環境としっかり向き合ってみてください。若いうちは自分のことで精一杯で周りが見えなかったりしますが、周りに「きっかけ」はたくさん転がっています。自分と縁のある人たちのことを大事にすることで、そうしたきっかけに気付くことができるのはないでしょうか。